スピリチュアリズムでおはようSUN

大霊一筋!の「ルリリリランランルリリララ♪」的なブログです。

大霊の愛で出来ている世界

缶コーヒーのCMで

「世界は誰かの仕事で出来ている」

というキャッチコピーがあります。

 

とても良いコピーだと思います。

 

「誰かの仕事」とは「誰かの(奉仕)サービス」と捉えることが出来ます。

 

またここで言うところの「誰か」というのは仕事をしてきた人々という意味だと思いますが、霊的に読み替えますと「誰か」とは「大霊」として捉えることが出来ると思います。

 

このように捉えるとこのコピーは

 

「世界は大霊の奉仕で出来ている」

と読み替えることが出来ます。

 


実際に仕事をしてきたのは様々な人々なわけですが

 

「仕事」とは「奉仕(サービス)」であり、

「奉仕(サービス)」とは「利他愛の実践」として捉えると、

人々の仕事というのは人々が「利他愛の実践」をしてきた結果だと捉えることが出来ます。


「先人木を植えて後人涼を得る」ということわざがあります。

 

昔の人が植えた木のおかげで、後の人が涼しさを味わうことができる。
前代の人の行いによって、後の人が楽をすること。という意味です。

 

仕事や奉仕、利他愛の実践の本質を言っていることわざだと思います。

 

普段は意識することもないかも知れませんが

我々は「誰かの仕事」に囲まれて(満ち満ちて)日々生活しています。

 

例えば衣服を一枚着るにしても、誰かが服を作ってくれたおかげです。

 

布を作る仕事もあれば
ボタンを作る仕事もある。

ファスナーを作る仕事もあれば、それを発明開発した仕事もある。

裁縫する仕事。それを輸送する仕事。小売りで売る仕事。。。

 

それこそ無限に考えることが出来ますが、

全ての仕事を「利他愛の実践」の結果として捉えることが出来ます。

 

実際に仕事をしてきた人々は仕事をすることで
報酬(お金)を得て生活しているとは思います。

 

では「仕事」をした人が「報酬(お金)を得る」という利己愛で仕事をしたのか、それとも人々の役に立とうという利他愛で仕事をしたのか、どう捉えるべきかを考えますと。。。

 

物的視野では「利己愛」で仕事をしたと捉えることが出来るかもしれませんが、霊的視野では「利他愛」で仕事をしたと捉えることが出来ます。

 

そもそも「仕事」とは人の役に立とうとして

「奉仕(サービス)」でやるべきもの、

「利他愛」でやるべきものだと思います。

 


「愛」がなされる時、そこに現れるのは
人というよりも愛そのものの存在である「大霊」です。


「仕事をした人」は大霊の愛を顕現させる通路になったにすぎません。


このように捉えると「大霊」は人という通路を使って
自らの「愛」を表現しているのであって、
世界は大霊の愛に満ち満ちているのだと思います。

 

しかし霊的なことに関心がない世の大半の人は
そうした大霊の愛を実感することもなく

「誰かの仕事で出来ている世界」に意識を向けることもありません。


そもそも既に大霊の愛の中に生きているのに
その愛を知らないのは
なんとももったいないことだと思います。


日常で我々が目にする「誰かの仕事で出来ている世界」とは
「大霊の愛で出来ている世界」に他ならないのだと思います。