スピリチュアリズムでおはようSUN

大霊一筋!の「ルリリリランランルリリララ♪」的なブログです。

自然霊について2 自然霊から学んだこと

低級なものとは言え、自然霊がいると知った時は、すごく驚きました。
そして霊的世界に対する興味がすごく大きくなりました。

 

「一体あの動物のような姿をした霊は何なんだろう?」

「何故ああいうものが存在しているのだろう?」

「あれら自然霊は一体何をして生活しているのだろう?」


僕は自然霊について興味を持ち、
スピリチュアル系の文献を色々と読みあさりました。

 


そうした過程の中で「シルバーバーチの霊訓」などのスピリチュアリズムの良書にも出会うことになりました。


元々霊的な世界に興味を持ち、いてもたっても居られず修行を始めたわけですが、この時をきっかけにさらに霊的な世界に対する興味が倍増しました。

 

約1年かけての修行を最後まで続けられたのも、「自然霊」に対する興味の大きさによるところもあったと思います。


今から考えると「自然霊」という霊的なサンプルを見せて霊的な世界に興味を持たせ、ついには「大霊」に導こうとする霊界の計画のようなものがあったのではないか??という気がしています。

 

そのために背後霊が働いてくれたのではないか?と。


19~20世紀にスピリチュアリズムが始まった頃、テーブルや壁を叩いて音を出したり物を浮かせたりした物理現象で霊界が人々に霊的世界の興味を喚起したことがありました。


いわばスピリチュアリズムの「物理現象時代」です。


同じように始めはびっくりするような演出をして霊界への興味を持たせてから、その後スピリチュアリズムの思想や哲学、そして「大霊」に導いていくというのは
個人のレベルでも同じなのかも知れないと思っています。

 


「自然霊」に興味を持ち、色々と調べたりしましたが結局のところ、こうした低級な「自然霊」は一体何をしているのか、何の為に存在しているかは具体的には解りませんでした。


いずれにしても創造主である「大霊」によって何らかの目的があって創造されたことは確かであり、それぞれその役割を果たして存在しているのだと思うようになりました。


それは虫一匹といえども「大霊」の生命を宿す存在であるのと同じことだと思います。


普段は意識することもなく誰も気にもかけませんが、
例えば草むらの石の裏をめくればミミズやダンゴ虫、ハサミ虫や蟻などの小さな虫がたくさんいることと思います。


これらの小さな虫たちは何の為に存在し、何をしているのかは具体的には解りませんが、彼らは自然の一部であり自然の大きな動きの中で何らかの役割を果たしながら「大霊」の一部として機能している貴重な歯車の一つ一つなのだと思います。


虫一匹といえども「大霊」の生命を生きているのであって、どんな小さな微生物といえども「大霊」の管理から外れた存在はありません。


「自然霊」も同じなのだと思います。

「自然霊」もまた大霊の管理下にあります。

「自然霊」もまた大霊の命を生きている貴重な存在です。


自然霊は「大霊」の生命を生きながら大霊から与えられた何らかの役割を(言わば)彼らが住む高低それぞれの霊的世界において果たしているのだと思います。


高級な自然霊には高級な自然霊の役割があり、低級な自然霊には低級な自然霊の役割があるのだろうと思います。


それがどのような役割を果たしているのか?
その具体的な内容は解りませんが「大霊」は意味の無い存在を作らないと思います。

 


例えば草むらの石の裏の蟻やダンゴ虫などの小さな虫の世界は、誰にもほとんど意識されない世界です。

 

言わば「目に付かない世界」です。


「目に付かない世界」と「目に見えない世界」はよく似ていると思います。

 


僕は自然霊の存在を知った時は大変驚きましたし、とても「不思議」に思いました。

 


しかし「目に見えない世界」のことを不思議がるのと同じ「霊的な不思議がり方」で地上の身近な「目に付かない世界」を見なければならない。。。と思うようになりました。


地上の一匹の虫と、
霊的世界の虫の自然霊とは
「大霊」が創造したという意味では同じです。


どちらも「大霊」が創造した「凄さ・偉大さ・トテツもなさ」を内在させているのだと思います。

 

虫の自然霊を不思議に思っていながら、地上の虫を不思議に思わないのはオカシナ話です。


普段は「目に付かない」ような一匹の虫からも本当は「トテツもない」大霊の計り知れなさを見出すことが出来るのだと思います。


「目に付かない世界」とは実は草むらの石の裏だけではありません。


我々の日常の生活の全て、森羅万象の全てがありふれた「当たり前」というベールに覆われた「目に付かない世界」になっているように思います。


霊的な「目に見えない世界」は、
見えているけれど「目に付かない世界」に意識を向けさせるキッカケにならなければならないのだと思います。

 

霊的な現象にはそういう役割もあるのではないか、と。


「自然霊」から学んだことは、日常ありふれた目の前の「目に付かない」些細な現実から「目に見えない大霊」を見出すことだったのだと思います。