スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

言語の限界

高度に霊的なことを三次元的な地上用の言語で説明することは難しいと
シルバーバーチは語っています。

 

そもそも不完全なもの(地上用の言語)で完全なものを表現することは出来ないのだ。と。

 

では「大霊」という言語は、正しく「大霊」を表現できているのか?という疑問が残ります。

 

おそらく出来ていないのではないかと思われます。


神、大霊、創造主、ゴット、アラー、天之御中主神大日如来、等々

 

各地方、各宗教で色んな言い方がありますが要は同じものを指していると思います。

 

スピリチュアリズム的に言うと「大霊」です。
(ここでは「大霊」という言語を使おうと思います。)


「大霊」という言語による表現は不完全な地上用の言語によるものですから、
完全な「大霊」については実は表現できていないことになるのではないかと思います。


「大霊」という言語は「大霊」を正確に表現していない。。。


ということは「大霊」についていくら不完全な地上用の言語で語っても語ったことにはなっていないのではないか…。とも思います。

 

それくらいに「大霊」は計り知れないものなんだろうと思います。

 

「大霊(神)」の計り知れなさは想像を絶するものがあります。

 

とは言え「大霊」という言語を使用しないと

「大霊」を表現できないので説明の便宜上やむを得ず使用しているのが
「大霊」という言語になるのだろうと思います。

 


哲学者の言葉にこんなものがあります。(うろおぼえ)

 

「存在を語るためには言語が欠けている以上に、文法が欠けているのである」


ここで言う「存在」とは、高度に霊的なこと、「大霊」のことと解してもよいと思います。

 

「大霊」を語ることの構造的な不可能性を指摘した言葉だと思います。


「大霊」を語るための言語は地上には無いけれど、それ以上にそれを語る為の「文法」がそもそも無いというのは面白い指摘です。


「大霊」という言語は「大霊」を正確には言い当ててはおらず、
わずかにその一部をかすらせているのみであるというのが「大霊」という言語に対するイメージを抱いています。

 

それくらいに計り知れないのではないかと。

 

「大霊」という言語でなんとか言えているのは1%くらいで、
残りの99%は正しく「大霊」を言えていないのではないか。。。みたいな印象です。

 

もし仮に「大霊」を言えたとしても地上用の言語で表現できるのは地上人の理解力が及ぶ範囲内に限定されたものであって全体から見たら1%ほどかもしれない。。。

しかもその1%ですら地上人の理解力では実際にはほとんど理解出来ないのではないか…。とも思います。

 


「大霊」に対する興味は尽きませんが、その計り知れなさを思うとき、

「ああ。大霊よ。。。」と(語っても語ったことにはならないような地上の言語で)感嘆するほかはありません。