スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

人生の大きな流れ

いつの頃からか、人生には大きな流れがあってその流れに添うようにして人生が展開していくように感じています。

 

この大きな流れは大きな霊的な力によって支配されていて
その流れに乗っている舟の船頭さんが自分です。
船頭さんといっても盲目の船頭さんです。

 

目の見えない船頭である自分が大きな人生の流れに流されながらも
舟の舵取りをしているようなイメージです。

 


この大きな「流れ」の存在に気が付いたのはいつだったか具体的にはよく思い出せないのですが、
いつの頃からか「流れ」の存在を感じながら、こちらとしても「流れに添うように動く」ことを意識するようになりました。


人生を川下りに例えると、川の源流近くの急な渓流では川の流れは激しいものです。

 

岩にぶつかったり滝に落ちたりしながら舟は流れに翻弄されることと思います。
そんな時、船頭は必死に舟をコントロールしようとしますが
自然の力には適わず流れに呑まれながら自分の無力さを思い知ります。

 

流れに呑まれ痛い思いをしながらも盲目の船頭は「流れ」とは何かを学びます。
そして流れに上手く添うことが舟を上手くコントロールするコツであることを学びます。

 

自分の力を頼み強引に自分の思うように舟をコントロールしようとしても流れに逆らっていては上手くいきません。
無駄な力を使って疲れるだけでなく「流れ」を読み切れずに大岩にぶつかって痛い目にあいます。


何度も痛い目にあいながら盲目の船頭は舟を自分の人力でコントロールすることを止めて、手を川の中に入れ全ての感覚を使って「流れ」を読み「流れ」に乗ることに集中するようになります。

 

「流れ」を読むと言っても必ず上手く読めるわけではありません。
その時々の船頭のレベルに相応した形で上手く読めることもあれば読み間違うこともあります。
ただ読み間違うといっても初めの頃のように大きく間違って重傷を負うということはないと思います。

 

また「流れ」に乗るといっても船頭は流されるがまま何もしないわけではありません。
何もしなければそれはそれで岩にぶつかったりして痛い目にあいます。

「流れ」の存在を知りながら何もしないということは、
それはそれで「流れ」に逆らっていることと同じことになると思います。


「流れ」が大きく右に曲がりつつある時はこちらも右に舵をきります。
またしばらくして「流れ」が大きく左に曲がりつつあればこちらも左に舵をとります。

その判断は「流れ」そのものの動きとほぼ同時であることが理想的だと思います。早すぎず遅すぎず「流れ」の動きにベストのタイミングでこちらも行動します。

 

こんな感じで船頭は「流れ」に添うように舟をコントロールすると上手く進めることを学ぶのです。

盲目の船頭が川に手を入れ全身の感覚を総動員して「流れ」の動きを読むという例えは、
自分の守護霊・背後霊が指し示す方向性を直観で読むことをイメージしました。
阿吽の呼吸で動くべき時に動き、「流れ」に添いながら「流れ」そのものとなる感じです。

 

背後霊の導きに全幅の信頼を寄せて身をゆだねつつ、
自らもそれら霊的存在の働きに協力協同して共に進んでいくわけです。


「流れ」の動きを感じてその動きに即応して舵を切るわけですが
その時点では「何故こちらに舵を切ったのかよく解らない」と一瞬不安に思うことはあるかもしれません。


その時点では何のことかよく解らなくても長い目でみると辻褄があって
「やっぱりあの時の判断は正しかったのだなあ」と思う時がくるのだろうと思います。

 

守護霊・背後霊のサポートがあると言っても船頭はあくまでも自分です。

日常の努力を怠らず、自分の感覚に自信を持って「流れ」を判断し、

自分の責任で舵を切ります。
そうすることで守護霊・背後霊との結束は強まり
人生の「流れ」はより進歩する方向へ大きく流れていくのだろうと思います。


こうして舟は大河へ到り自分の勤めを果たして
やがて大海へ帰っていくのだと思います。