スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

憑依について8 憑依の予防策

憑依についての最後に憑依の予防策について思うところを書こうと思います。

憑依が何故起こるのか?といった憑依のメカニズムについては

スピリチュアリズム普及会さんのサイトで学ぶことが出来ます。

憑依現象と除霊について

僕は何度も同サイトで学ばせて頂きました。


憑依が何故起きるのかといいますと、
第一に本人の霊的背景・カルマからくる要因によるものであって
僕の理解では徹頭徹尾、本人自身の問題であると思います。

 

憑依の問題は究極的には自分自身の努力で解決するしかないと思います。
自分で努力するのが遠回りしているように見えても
結局は一番早い解決法だと思います。

 

自分自身に克服すべき人間的弱点、欠点、考え方生き方の悪さがあるからその土台に
憑依霊が乗るのであって、むしろ憑依霊は「その弱点を克服しなさいよ」と
間接的に教えてくれているありがたい存在なのだと思います。

 

そして憑依の原因を憑依霊に求めるのではなく、
自分自身にその原因があったことを理解して、自身の生き方考え方を改めて自分の中から自己中心的な発想、自主性のなさ、暗い気分を排除する努力をしつつ、

神に対する絶対的な信頼を確立しなければならないと思います。

 

しかし憑依があった場合、(それに気付くことが出来たにしても)憑依されている人は自分を憑依霊の被害者だと思ってしまうかも知れません。

 

つい憑依霊などの悪霊が理不尽に「悪さ」「意地悪」をしているから
憑依や霊障が起こってるのだと勘違いしてしまう人もいるのかも知れません。

しかしその視点こそが問題です。

他にその責任を求めてしまう感性そのものが霊的無知からくるもので
低級霊の影響力をむしろ助長させてしまう発想であると思います。
おそらく「その発想は間違ってますよ!」という学びのゲンコツがふりそそがれる、という結果になると思います。

叩きのめされないと人間はなかなか気がつかないものだからです。

 

ニュースとかでよく聞く話は、
こうした憑依や霊障を解決しようとして、
力のある(?)霊能者を訪ね歩き
いかがわしい霊能者に依頼して憑いている霊を払う為の
法外な祈祷代を支払いトラブルになるというケースです。

 

こうした問題でいつも思うことがあります。

法外な報酬を要求する(解りやすい)いかがわしい霊能者が
通じている霊的世界は霊は霊でも低級霊の世界だということです。


いかがわしい霊能者にも霊能はあるのかもしれませんが
おそらく低級霊系のそれであり、ほとんど霊的価値はないようなものだと想像します。


そういう怪しい霊能者自身が「低級霊的」である要素が大きいし、またそういう人にすがってしまう依頼者も「低級霊的」なのだと思います。


そして怪しい霊能者と依頼者の双方に低級霊が憑いているという低級霊団が霊的親和性で寄せ集まり、田舎芝居的なことをしているのではないかと想像します。

 

霊的なことには低級霊的なものと高級霊的なものと
大きく分けて二つの霊的世界からの視点があると思います。


一番やってはいけないのは低級霊にピントを合わせてしまうというそれです。

よくある話で「先祖の祟り」があるので供養しなければならないとか
「怨霊が怒っている」ので謝ってご機嫌をとらなければならないとか
力のある霊能者に悪霊を払ってもらわなければならないとかの
低級霊的な話を聞きますが、そういう話は「低級霊的」であるというその時点で全て無視して良いと思います。


そもそも怨霊やオドロオドロしい地縛霊・未成仏霊といった低級霊の世界にあまり意識のピントを合わせるべきではないと考えます。

 

心のベクトル(矢印)は常に神(大霊)に向けておかなければなりません。

それが低級霊に対する最大の防御法だと思います。

 

しかし霊は霊でも低級霊の世界に心のベクトルを向けてしまうと
実際にその世界に自ら入ってしまうことになるので注意が必要です。


低級霊の世界は低級霊の世界であるにはあると思いますが
無限に広がる果てしない世界であって、
泥沼に自ら入る愚を犯すべきではありません。


低級霊の世界はどうでもいいものとして、
最初から興味を持つべきではないものとして
切り捨ててしまってもいいのではないか?と考えています。


その意味で唯物論的な人が「霊なんかいない」と
霊的なものを切り捨てる態度にはある意味では一理あると思います。

 

低級霊的なことに中途半端に興味をもつくらいなら、
「そんなものは存在しない。」として切り捨ててしまうのも
賢い態度のようにも思います。

 

しかしこうした態度の間違いは低級霊的なものと一緒に
高級霊的なものまで切り捨ててしまうことです。

 

とはいうものの何をもって高級霊と低級霊を区別するのか、
その判別の問題があると思います。

また「神(大霊)」とは何かという神の理解が
その人の霊性に合ったかたちで各人各様であるという問題があると思います。

 

心のベクトルを神に向けると言っても、その「神」の理解が(あえていうなら)低ければ、残念ながら低級霊の世界に通じてしまうからです。

 

霊的真理などの霊的な事柄に慣れていない場合は
その価値観が「この世的・地上的」なので
低級霊的なことを高級霊的なこととしてアベコベに受け入れてしまいがちだと思います。
同様に高級霊的なことをつまらないこと、取るに足らないこととして
逆に捉えてしまうのでその結果、その内容がいかにも低級霊的な様々なトラブルが起こるのだろうと思います。


どのように低級霊と高級霊を区別するかは
霊的真理を真摯に勉強する他はありません。

なるべく高級霊的な視点が出来るように、霊的真理の知識を増やす努力をしなければなりません。


霊的知識を積極的に吸収して知識を増やして霊的な理解力を高め、
日常生活では利他愛の実践を通じて意識を高く保ち
心のベクトルは常に「神」に向けながら
明るく楽しくウキウキとした気分で生きることが大切だと思います。

こうしたことが同時に憑依など低級霊に対する防衛策になると思います。


心のベクトルを常に「神」に向けるのです。

「神」への絶対的な確信、信頼があれば恐怖心や不安、取り越し苦労をすることはありません。

 

常に「神」と共にある幸せを噛みしめながら
明るく楽しく心ウキウキと生きることができれば
低級霊系のことなどは全くどうでもよいものとして
意識にも入ってこなくなると思います。

 

まさに低級霊の入り込む隙が無くなることで
結果的にその予防策になるように思います。