スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

憑依について7 憑依霊に感謝

霊的な世界の実在を確信した10年前のこの頃は
憑依現象を体験し、不思議な出来事がよく起こっていたように思います。

 

しかしその頃の僕は

「そういう不思議な世界というのはあるんだなあ…。。」

 

という何となくの理解に止まり、それ以上の興味を持つこともなく
やがて普通の日常に戻っていきました。


時間が経つにつれ精神的にも安定し、この時の体験も
過去の思い出になっていきました。


しかしそんな普通の日常を送りながらも
この時の憑依体験のことは心のどこかで覚えていて

「あれは一体なんだったんだろう?」と

時々思い出すこともありました。

 


テレビで心霊番組などをやっているのを見ては
「そういえばあの憑依霊は一体どうなっているのかなあ?」
と思い出したり、


また恐ろしい無差別的な殺傷事件のニュースを見ては
「おそらく憑依現象だろう…。」
「でもどうすれば防げたのだろう?」
と思ったりすることもありました。

 


おりにふれ時々思い出すことはあるものの、積極的に自分から
霊的なことを勉強してみようとは思うこともなく
霊現象を体験してから約8年が過ぎました。


そんな中、ネットで霊的な情報を得ているうちに
知らず知らずのうちに霊的な知識が増えていきました。


知識が増えると面白く感じるもので、
もっと知りたいという思いが出てきて、
ネットだけでなく書籍でも霊的なものを読むようになり
ついに修験道の寺で修行をするようになりました。


その寺というのは、家に縁のあるお寺で
行場が整備されていて家から近く、また不思議な出来事があった寺です。

憑依があった時にアルバイトをしていたのはこの寺のことです。


憑依現象がよく起こっていた当時、
憑依以外にも印象に残っているような不思議な出来事があったことを思いだし、
いてもたってもいられず

 

「今こそ約束を果たすべき時」

と決意して「行」をはじめたのでした。

 

「行」は今でも続けていますが今はかなり
落ち着いた感じになっています。

 

「行」をやり始めた当時は
鉄の意志で決死の覚悟をしていました。
「必ずやり遂げる」と。


自分で決めた「行」を約1年かけてやり遂げまして
生涯の思い出に残るような体験ができて、
やってみて本当に良かったと思っています。

 

「行」をやり遂げた時は本当に感動しました。

 

またその後、スピリチュアリズムの崇高さに感動し、
その道を歩もうと思うことになりましたが、そのキッカケになったのもあの時の憑依体験でした。


そう思うと、あの時の憑依霊には感謝しています。


僕の身体をコントロールした憑依霊が今はどうしているのか
よく解りませんが、あの憑依霊は何らかの霊的な「仕事」を
してくれたのだろうと今では思っています。


おかげで霊的な世界に視界が開かれましたし、
何より霊的真理を学びながら神とともに生きる
霊的人生を歩むキッカケになりました。


こんなに幸せなことはありません。

憑依による苦しみは「神(大霊)」に通じていたのです。

 

否、憑依だけでなく全ての苦しみは神に通じているように思います。


「人生とは苦しみへの感謝」
とはシルバーバーチの言葉です。


苦しんでいる最中はとてもそんな余裕はありませんでしたが
今から考えてみますと色々と思うことがあります。

 


「苦しみ」はどこから来るのか?

考えを突き詰めていくと究極的には
やはり「神」から来るのだろうと思います。

 

「苦しみ」の源泉は「神」であり、
その本質は「神の愛」であると思います。

 


「苦しみ」とは「神の愛」がそのように変換されて
そのような(苦しみという)「感じ方」になっているもの。。。

というふうに今ではイメージしています。


何故そのような「変換」が起きるのか?


その責任は自分自身の霊的背景にあり、
やはりカルマが関係しているのだろうと思います。

 

自分で蒔いた種は自分で刈り取る。それが神の愛だと。


苦しんでいる最中は確かに大変ですが
結果的にそれで霊的に目覚めることが出来るのなら
また霊的に成長できるのなら、
そして何より神に向かって生きていく道が開けるのなら
やはり霊的にはそちらの方が幸せなのだと思います。


「苦しみは神(真理)への扉」

だったのだと思います。

 

(憑依について8に続きます)