スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

憑依について4


憑依霊が出てくることで「解らない」ことから来る苦しみは半減したように思います。

 

そもそも物質的な尺度では捉えられないものを
物質的に解釈しようとして無理が生じていたのでした。

 

「解らない」苦しみは
「霊的なことなのだから、解らなくても仕方がない…」
と納得することで落ち着いたのでした。

 

僕の身体をコントロールした憑依霊がその後どうなったのかは解りません。

 

自分の死を自覚し、いわゆる成仏をしたような状態になったかどうかは不明です。なんとなくそんな気もするし、よく解かりません。

 

もしかしたら背後霊(因縁霊?)として今でも側にいるのかも知れませんが、いずれにせよ僕が霊界に行ったときに解るかもしれないと思っています。

 


そしてもう一つ印象に残っている憑依の経験があります。
それは憑依によって「殺意」を感じた経験です。

 

身体をコントロールされた事件が起こって間もない時です。

 

僕は家に縁のあるお寺で父とともに
家業の建築業のアルバイトをしていました。

 

そのお寺には大小様々な蛙の置物がたくさん置かれているのですが、

その蛙の置物を作業の支障にならないよう脇に避ける為、
抱えながら運んでいたときの事です。

 

僕はその蛙の置物を抱えながら電気に打たれたような衝撃とともに
「これは自分の赤ん坊だ。こんなところにいたのか。」
と思ったのです。


「ああ。そうだったのか。そうだったのか。」
「やっと見つけた。こんなところにいたのか。やっと見つけた。」

 

と思って涙が溢れました。

 

何故蛙の置物を自分の赤ん坊と思っているのかは解りません。

その寺に蛙の置物があることはずっと知っていましたが
その時初めてそんな感じ方をしました。


今から考えると、
その時の僕の思考や感じ方が憑依霊等の霊的な影響によって
コントロールされてそのように思ったのだろうと思います。


そして
「自分の赤ん坊は大丈夫だろうか…。」
「こうしてお寺で供養されているので安心のはずだが…???」
などと思うのでした。


そのように感じながらも仕事の作業は続けていました。

 

お寺のある事務員さん(仮にAさんとします)が僕の側を通りかかりました。
Aさんとは普通に挨拶する程度の間柄です。

 

特に話したこともなく名前も存じ上げない仲でした。


普段はAさんのことを特に気に止めることもなかったのですが
この日Aさんが通りかかった時、
蛙の置物に何か悪さをするのではないか?

という思い込みに囚われました。

 

「悪さ」というのは蛙の置物を蹴ったり壊したり邪険に扱ったりするようなことをイメージしていたと思います。

 

「絶対に許さない!」
「もしそんなことをしたら、あいつを殺してやる!」
という殺意を抱きました。

 

僕はAさんの行動を目で追いながら
Aさんが蛙に手をかけるかどうかを注視していました。


僕はその時「しの」という金属製で先のとんがった
大工道具を持っていました。


もし何かAさんが蛙の置物に変な行動をとるようなら
この「しの」で刺そうと思いました。


「しの」を握る手に力を込めながら
その時がくるかどうかを待ちました。

 

普通「殺意」といっても実際にはリアルに想像出来ないと思います。


しかしその「殺意」は
「これが本当の殺意というのか…。」
と思う程の強烈な「殺意」でした。


「もうどうなってもいいんだ!」
「あいつを殺さねばならない!」
「あいつを殺すために自分は生まれてきたのだ!」
「自分の全人生はあいつを殺すためにあった。」
という

 殺すことに対する「義務感」

 のように感じられました。

 

このような殺意に囚われたら

 

 「止まるものではない。」

 という印象が残っています。

 

僕は仮設の建物の上に登っていましたが、上から威嚇するように
Aさんに「殺気」を放ちました。

 

Aさんが妙な気(?)を起こさないように
「殺気」による威嚇で相手の行動を封じようとする意図もあったように思います。

 

「しの」を握る手に力を込めて
全身全霊の殺意で突き刺すように
「殺気」を飛ばしました。

 

その時の僕はおそらくこの「殺気」をAさんも気付いているだろう、と思いました。


僕がそんな状態で威嚇する体勢で構えている時に、
父が僕に声をかけました。

 

僕は少し正気に戻りました。

 

実は「殺気」を放っているときも意識のどこかでは

 

「これはおかしい。。。」
「また霊現象か…。。。」

 

という感覚はありました。

 

何故自分はほとんど見ず知らずの人を
蛙の置物というよくわからない理由で殺そうとしているのか?

 

この「殺意」はどこからきているのか?

 

明らかにおかしいことは「意識」のどこかで
感じていたと思います。

 

また父がすぐ目の前にいるのに
そこで殺人事件を起こすわけにはいかない
という「意識」もあったように思います。


僕は殺気を飛ばすのを止めて作業に戻りました。

 

作業をしていると「殺意」のタイミングがズレてしまって
先程までの殺意が失せていきました。


そして「自分には(殺しは)出来ない。」という思いを抱きました。
と同時に涙が止めどなくあふれ出ました。

 

「自分には出来ないんだ。」と。

 

その時は木材を3~4人で運ぶ作業をしていましたが
涙があふれ出続けている状態で作業をしました。

 

その場にいた人は僕の涙が止まらないのを
見ていたはずですが不思議とスルーされて
作業は普通に行われました。

 

そして先程までのAさんに対する感情も無くなりました。

 

何故蛙の置物を自分の赤ん坊だと思っていたのか?

何故先程までAさんに殺意を抱いていたのか?
キツネにつままれた様によく解りませんでした。

 

しかしその「殺意」は実体実感のあるもので

そうした思いを抱いている地縛霊の実在と

その影響力を確信するのに十分な出来事でした。


以上が憑依によって殺意を抱いたと思われる経験の
あらましです。

 


僕は実際には人を傷つけることはありませんでしたが、
世の殺人事件や無差別殺傷事件などの通り魔事件は
低級霊の憑依による影響が大きいように思います。


こうした事件で逮捕された容疑者が

「誰でもよかった。殺せという声が聞こえた」

といった供述をしていることがあると思いますが、
おそらく憑依霊の声を聞いているのだろうと思います。

 


その「殺意」はおそらく凄まじいもので、
もしそうなってしまったら止まるものではない。
と思います。

 


例えば一人では行動に移せない殺人行動も
「殺意」を持った低級霊がたくさん集まることで
赤信号みんなで渡れば怖くない」的に良心の声はかき消されて
殺意は巨大化し、ついに実行出来てしまうのかもしれない。。。

と想像しています。

 

(憑依について5に続きます)