スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

憑依について2

その頃の僕は挫折を経験して精神的に
落ち込んでいた時期でした。

 

定職にもつかず、実家でブラブラしながら悶々とした日々をすごしていました。


「解らない」ことから来る苦しみや
悲しみや怒り、そして何かを嘲笑して攻撃する
ような妄想が止まらないような状態でした。

 

妄想のしすぎで頭がパンパンになっていました。


一つの出来事にたくさんの解釈が入り交じって
感覚され、その出来事が何を意味するのかを考えては
また頭がパンパンになってどんどん訳が解らなくなるという
ような状態になることもありました。

 

例えば誰かが
「今日はいい天気ですね。」
と言ったとすると、こちらは
「アベコベの意味で解釈するのが正しい意味なんだ。」
と思うわけです。

 

つまり「今日はいい天気ですね。」の意味は
「いい天気→悪い天気」で
「今日は悪い天気ですね」が正しい意味なんだ。と思ったりして
言葉の裏にこちらに伝えたい暗号が隠されているのだ…。
と思ってその意味を探ろうとしていました。

 

今から考えると身近な出来事に暗号的な意味が隠されている、という感覚は背後霊からの霊的アプローチを何となく感じ取ってそうなったようにも思います。

 

しかし当時の僕は暗号的な意味を読みとろうとして複雑に考えて
結局訳が解らなくなり頭を抱えて悶絶するということもありました。

 

また今から考えると複数の憑依霊と同調一体化していた要素もあるのだろうと思います。

 

おそらくその中にはイタズラ霊もいて、
イタズラ霊の「おちょくり」のいいオモチャにされていた
ところもあるようにも思います。

 

その頃の僕は、時々「ウヒャヒャヒャヒャ」と何かを嘲笑することがありましたが、イタズラ霊がイタズラの成功に喜んでいた気分と同じ気分にこちらもなる、ということもあったように思います。

 イタズラ霊にとって僕はオモチャであると同時にイタズラ霊自身でもあったわけです。

 

憑依霊の感じている気分とこちらの感じている気分は
同じ気分になることがあって、両者は同じ気分を共有するところが
あるように思います。

 


突然笑うこともあれば、ものすごく胸が苦しくなることもありました。

「この世にこんな苦しみがあるのか」と思うほどの胸の苦しみです。

 

とにかく胸が苦しいのです。

 

肉体の胸が痛んでいるというより
何か解らないけど胸の奥にある何かが
凄まじい力で締め付けられるように苦しいのです。

 

その時の気分は巨大な暗黒の中で悶え苦しむような最悪の気分です。

 

床に這いつくばって、文字通り「のたうち回って悶え苦しむ」こともありました。

そのうち苦しみがやってくる時の対処法もあることに気付きました。

 

苦しみのあまり「のたうち回る」と余計に苦しくなるのです。

 

こういう場合は徒に抵抗せず、貝のように身を潜め、じっと苦しみが通りすぎるのを待つとよいと気付きました。

こうすることで苦しみは拡散することなく最小限で止めることが出来るように思います。

 

また大きな恐怖心でブルブル震えることもありました。

何か解らないけど「とにかく怖い」のです。

 

怖くて怖くてたまらず、何とかしなければと焦るのですが
何もする事が出来ず、自分のこれまでの人生を後悔しては「独り言」を言うのでした。

 

妄想が止まらないのと同時に「独り言」も止まらない状態でした。

 

一日中ぶっ通しで独り言を言い続けているような状態で
喉がガラガラになるまで独り言を言ってはクタクタになるのでした。


こんな日常を送っている時に、ついに憑依霊が出てくる(霊の存在を実感する)事件が起こったのでした。

 

(憑依について3に続きます)