スピリチュアリズムでおはようSUN

シルバーバーチの志を学んでいます

滝から学んだこと

滝に行ってきました。

 

ちりりんさんに滝師匠なんて
大きな名前をつけられてですね。

 

もう、滝に行かざるを得ない感じですわな。

 

僕なんて、とても師匠なんて言われる程の
修行はしていないです。

でも愛情を持ってそのように言われるのは
とても嬉しいです。

 

その日は

「さあ今日は滝師匠の出番やでえ。」と
思いましてですね。

 

「さあ。滝師匠が参上させてもらいまっせえ。」と
思わさせてもらいまして。

 

「ぽん氏、滝に行かざるを得なくなるの巻き」
みたいな感じでございます。


朝は4時半に起きてですね。
早朝の山の中へ入って行くわけなんですが。

 

今の季節はもう5時半頃はかなり明るいですね。

 

冬の5時半は真っ暗ですけども。

 

まだ暗い山に入っていくと
「川明かり」と言いまして
川のところだけが真っ暗でもほのかに明るいのが解ります。

 

川の水というのは
うっすらと光っているんです。

 

水というのは発光しているんですね。

 

僕はこの「川明かり」が好きで
2年程前に熱心に修行していた時は
川明かりのほのかな光に
勇気づけられたものです。

 

滝の水はまだ冷たいとはいうものの
冬に比べると、かなりましになってきました。

 

滝に入る時は神にお祈りをして
気合いを入れます。

 

「神よ。大霊よ。
神のお手伝いをするためにはどうあるべきか
どうかよろしくお教え下さい。」
と祈りましてですね。

 

守護霊にも
「よろしく学ばせてください。たのんます。」
と念じまして入っていきます。

 

滝に入ると身体が滝に馴染んできて
瞑想が深まってくるまで
不動明王真言マントラ)を唱え続けます。

 

「なあまくさあまんだあ…」
言いながらですね。

 

真言は特に必要ないと思いますが
滝に入ってすぐの時など
気合いを入れた状態から瞑想状態へ
移行するまでの間は
マントラ瞑想みたいな感じで
唱えるようにしています。

 

滝の中での身体が馴染み
真言を唱えるのが不要になれば

「ととととと…」

という身体に当たる水の音に
集中しながら瞑想を深めていきます。

 

今回は30分くらい打たれてきました。

 

滝から出ると
最後の締めに川の水で水垢離を
行いまして、その後
顔と頭を洗います。

 

もう濡れネズミみたいに
なりましてですね。

 

身体が芯から冷えて
ボロ雑巾状態です。


それから着替えて
あたたかい服に身を包まれますと
Tシャツ一枚、靴下一枚が
「ありがたいなあ」と
実感出来ます。


普段生活しているとTシャツや靴下に
感謝することはないと思いますが

「行」をすると骨身に沁みて
そのありがたみが実感できると思います。

 

「ああ。なんと靴下一枚のありがたいことよ。
神様ありがとうございます。」

みたいな感じです。

 

そんなとき
「ああ。やっぱり「行」をやって良かったなあ。
今日はいい「行」が出来た。」
と思えるんです。

 

正直、「行」に来る前の日は
ちょっと怖いんですけども、
終わればいつも
「ああ。やってよかった…」と思います。

 

このあたりも修行の魅力だと思います。

 

そして。
何となくですが。。。

 

滝から出て冷えた身体を温めながら
体力を回復させつつある時に、
じわじわと解凍されるように
霊的な存在から頂いたと思われる「意味内容(インスピレーション)」が
現れてくるように感じましてですね。

 

それが前回の記事のタイトルになった

「神が縛ったものは神がほどく」

というワンフレーズです。

 

ここから色々と考えてみて
前回の記事になりました。

 

 「神が縛ったものは神がほどく」

 

もう少し考えを進めますと
神の手伝いをして「縛る仕事」をする者もあれば
神の手伝いをして「ほどく仕事」をする者もある。

 

神の目から見ると両方が必要ですし、

両方が神の使者なんだろうと思います。

 

そして
「ほどく仕事」をする者がスピリチュアリストに
なるのかも知れません。


なんとなく霊的な存在から

「ほどいてやれ」

と言われたような気がしましてですね。

「こら、がんばらなあかんな」と。


スピリチュアリストとして
そういう仕事が出来るように
日常の修行を努力していきたいと
思いました。