スピリチュアリズムでおはようSUN

大霊一筋!の「ルリリリランランルリリララ♪」的なブログです。

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「地上の悲劇」「人類の悲劇」などと言うけれど
それらはまさに文字通り「劇」として存在しているにすぎない。

「劇」はあくまでも「劇」であって実在ではない。

「大霊」こそが唯一の実在であって、「劇」という言い方は「本当は実在していない」ことを表現している。

あくまでも「劇」にすぎないものを、本当の実在なんだと「地縛的な錯覚」をしないように注意しなければならない。


「地上の悲劇」「人類の悲劇」とは、まさにそれが「劇」にすぎないということを知らない・気付いていない、というその霊的無知それ自身のことではないか。

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肉体の死の直後に大切とされているのが

「自分は死んだんだ」という死の自覚である。

しかし「死の自覚」は何も肉体の死まで待つ必要はない。

肉体がある今も(言わば)「自身の肉体は死んでいるんだ」という死の自覚と共に生きる事が出来る。

そもそも本当に生きているのは「大霊」だけであって
肉体が生きているわけではない。

そもそも肉体は最初から生きていないのであって
肉体が生きているという感覚は「地縛的な錯覚」によるものだ。

肉体が死んでから「死の自覚」をするために生まれてきたのではない。

肉体を持ちながら「死の自覚」をするために生まれてきたのだ。

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「霊」のイメージについて。

「霊」というと一般的には「幽霊(幽体)」をイメージするかも知れないが、あれは「霊」と言うよりもその未熟な付属品のようなもの。

「霊」というと地上で一番近いものをあげるとすると「太陽」だ。

「亡くなった人は星になって見守ってくれている」なんて言ったりするけど、星とは太陽(霊)のことを言っているとすると言い得て妙な表現ではないか。

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大きな事件や事故が起こったとき、被害者側は言う。

「真実が知りたい」「真相が知りたい」と。

しかし注意しなければならない。

肉の意識では知らないかも知れないが、
本当のその人、つまりその人の「大霊」は既に「真実・真相」を知っている。

肉の意識では思い出せないだけだ。

「真実・真相」が知れないということは肉の意識にとっては苦しいことかもしれない。

しかし本当は「知っている」のだ。
完全完璧に「解っている」のだ。

肉の意識では悪魔のように見えた者も、本当は「大霊」の仮の姿であり、「大霊」の愛の表現であり、まさに自分自身の姿そのものであったということを。

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何事も人のせいにしない。

人のせいにするくらいなら「大霊」のせいにすれば良い。

全ての現象の第一原因は常に「大霊」であるから。

「○○が悪いんだ」「○○のせいだ」と人に責任を求めがちだが、○○とは何かというと、常に「大霊」である。

「人」を「人」として見ているから「人」に責任を求めてしまうのではないか。

初めから「人」を「大霊」として見ていたらその様な事にはならない。

「怒り」や「憎しみ」は発生しようがない。


なぜなら「大霊」とは「自分」の事であるから。

「人」は存在せず、何もかもが「自分(大霊)」が引き起こした「自分(大霊)」に責任のある事であるから。