スピリチュアリズムでおはようSUN

大霊一筋!の「ルリリリランランルリリララ♪」的なブログです。

55 私とあなたは同じ意味

「私」という言葉と「あなた」という言葉は一般的には別々の意味だが、霊的には両者に違いはない。

 

霊的には「私」という言葉と「あなた」という言葉は同じ意味である。

 

これを別の言い方をすると
「私はあなたであり、あなたは私である。」とも言える。

54 夜を信じるな

肉の目には「夜(闇)」はあるかも知れないが、
霊的には「夜(闇)」はない。

「夜(闇)」がある、などと思っていてはいけない。

そもそも「夜(闇)」は存在しないのだから。

「夜(闇)」は迷いの世界でしか存在しない。

そもそも「神」あるのみであって、「夜(闇)」などというものがそもそもあり得るはずもない。

むしろ肉の目で認められる「夜(闇)」にはこう言えばいい。


「さらば夜よ。消えゆく夜よ。夜に鍛えられることもあったけれど今となれば懐かしい。さようなら。懐かしさよ。そもそも存在しない夜よ。さようなら。もう二度と見れない夜よ。さようなら。」と。

53

「地上の悲劇」「人類の悲劇」などと言うけれど
それらはまさに文字通り「劇」として存在しているにすぎない。

「劇」はあくまでも「劇」であって実在ではない。

「大霊」こそが唯一の実在であって、「劇」という言い方は「本当は実在していない」ことを表現している。

あくまでも「劇」にすぎないものを、本当の実在なんだと「地縛的な錯覚」をしないように注意しなければならない。


「地上の悲劇」「人類の悲劇」とは、まさにそれが「劇」にすぎないということを知らない・気付いていない、というその霊的無知それ自身のことではないか。

52

肉体の死の直後に大切とされているのが

「自分は死んだんだ」という死の自覚である。

しかし「死の自覚」は何も肉体の死まで待つ必要はない。

肉体がある今も(言わば)「自身の肉体は死んでいるんだ」という死の自覚と共に生きる事が出来る。

そもそも本当に生きているのは「大霊」だけであって
肉体が生きているわけではない。

そもそも肉体は最初から生きていないのであって
肉体が生きているという感覚は「地縛的な錯覚」によるものだ。

肉体が死んでから「死の自覚」をするために生まれてきたのではない。

肉体を持ちながら「死の自覚」をするために生まれてきたのだ。

51

「霊」のイメージについて。

「霊」というと一般的には「幽霊(幽体)」をイメージするかも知れないが、あれは「霊」と言うよりもその未熟な付属品のようなもの。

「霊」というと地上で一番近いものをあげるとすると「太陽」だ。

「亡くなった人は星になって見守ってくれている」なんて言ったりするけど、星とは太陽(霊)のことを言っているとすると言い得て妙な表現ではないか。